AKANEのコミュニティへようこそ。
ここは、ここから出るアイディアと共振してくれる皆さんとの共有の場です。
AKANE
AKANEは、探求という言葉を知らないながらも
人生をコントロールできない苦しさや、深いところで常に生きづらさを抱えていました。
完璧主義で自尊心が低く、周りに肯定されることで自己価値を見出していた私には、心の平安や全てを手に入れた成功者は憧れでしかありませんでした。
自分の人生は自分の手で切り開いていかなければならないとの過度の重荷は苦しみでしかなく、自己否定からくる人の評価や期待に応える日々にうんざりしていた最中、妊娠出産を迎え、母親になってしまいました。
精神的に病み、産後鬱になったとき、偶然入った子育てサークルで、インナーチャイルドや現実想像のメカニズムに触れるキッカケがありました。
自分の人生は100%自分の創造物であるという気づきは、まるで全否定が崩れ落ちる素晴らしい一瞥体験でした。
その後、引き寄せや願望実現の手法により、AKANEの人生は素晴らしく激変し、幸せを求めるというエネルギーは枯れつつありも、何か不完全なもどかしさも感じていました。
そんなとき、You Tubeを通し、非二元(ノンデュアリティ)という概念が飛び込んできました。
目の覚める思いで、ここだ!って直感的に惹かれ探求が始まりました。
探求して半年、真我らしきもの(自分を俯瞰する視点)に出会い、その後、何度も一瞥体験が起き、ある時ふと存在という何でもなさと同時に、そうでしかないという完全性に出会いました。
これは、全ての終わりを意味します。
でも、気づきたのは、このAKANEというキャラクターではく、ただ気づくという経験が起きたのだということは明らかですが。
全ては、そうでしかなく、
そのそうでしかないことも、決して捉えることの出来ない単純さてあり、現象でしかないという事実。その捉えようのない空っぽさ。そこに完全性を見ました。
なんて当たり前のこと。
なにも出来たことなどなかったのだ。
なにも得ていなかった。
なにも無かったのだ。
それは、求めるエネルギーの爆発的な衝撃であり、静かな微笑み、慈悲のようなものでした。
同時に起きたアイディアと言えば、
ストーリーの素晴らしさかな。
なんでも無さ(無)に、敢えて彩り(色)を与える自我性に、溢れんばかりの慈しみエネルギーを感じ泣き伏せたほどに。
このメッセージは、個人的なことではありません。
個人の在り方や世界観やよりよく生きる手法では決してないのです。
このエネルギー的なシフトは、『気づき』であり、気づきとも言えないものなのです。
元々在るはずのない主体の不在が、突然明らかになった。
それだけです。
そして、
ここからがすんごーく大切なことですが(笑)、
AKANEというキャラクターと、このメッセージは関係ありません。
見た目上そのように見えていますが、ここから音が出ているだけてあり、これは起きている事象に過ぎないのです。
故に、繋がってくれた皆さんとコミニケーションをとることは、パーフェクトな反応であり、それ以外がない完全性でしかありません。
つまり、
ここからの言葉、表現には、
意味も価値もなく、認識していない個人の助けになるはずもありません。
それでも
このように、ここからのアイディアに惹かれ、集まってくれた皆さんとの共振は、とても心地良いものです。(AKANEがじゃないけど)
再度、言います。
ここからは、誰かを助ける、導く、というスタンスはゼロです。
(例えストーリー上そのように見えても自由意志は無いので)
生きづらさ、苦しみの解放には使えません。(矛盾に聞こえてしまうのは当たり前として)
なぜなら、やはりここには1ミリも何かが出来る主体はなく、全てが未知の中であり、それが完全な自由そのものであるという気づきが起きたからに他なりません。
だから、ストーリー上のこのAKANEというキャラクターと、ここからのメッセージは無関係と言わざるおえないのです。
何でもないところから
何でもないメッセージ。
でも、出会ってくれてありがとうございます。